テオドール・シャセリオー(1819-56)

ギュスターブ・モローが師事したことでも有名なシャセリオーだが、著名作品としては、「エステルの化粧」ぐらいしか思い浮かばなかった。

1839年、画家20歳の作品「水浴のスザンナ」(ルーブル美術館)は大変蟲惑的な力を秘めた絵である。この作品でフランス画壇における名声を確立したとのことであるが、むべなるかな。

そして下段は海から上がったビーナス。画家は腕をあげたポーズが気に入っていたようだ。

その他最近気になった作品。まずは、Jean-Leon Gerome。ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824年5月11日 - 1904年1月10日)はフランスの画家・彫刻家。歴史や東方(オリエント地域)の描写を得意とした。(以下WIKIPEDIAより)



  アレオパス会議のフリュネ 

アレオパゴス会議(アレオパゴスかいぎ)は、古代アテナイの政治機構。アレオパゴス評議会などとも訳される。アテナイ政治における貴族勢力の牙城であり、古代ローマにおける元老院のような役割を果たした。

フリュネの美貌は有名だった。ポセイドーンとエレウシスの祭が開かれた時、フリュネは着ていた服を脱ぎ、髪をおろし、素っ裸で海に入っていった。衆人環視の中だった。その中に画家のアペレスがいたという説がある。アペレスの有名な絵『海から上がるヴィーナス(アプロディーテー)』のモデルはフリュネだというのである。ちなみに、このアペレスの絵は、この題材[1]の典型となった(普通アプロディーテーは立像だが、アペレスのアプロディーテーは座っている)。

ずっと後の時代だが、ジャン=レオン・ジェロームの『Phryné devant l'Areopage(アレオパゴス会議でのフリュネ)』(1861年)も、フリュネの美貌にインスパイアされたものである。

エレウシスの秘儀を冒涜した罪でフリュネは訴えられた。フリュネを弁護したのは、フリュネの愛人の1人、雄弁家のヒュペレイデス(Hypereides)だった。しかし形勢は不利で、ヒュペレイデスはいきなりフリュネのローブを引き裂いて、その乳房を露わにした。それでフリュネは無罪となった。一説には、フリュネが自ら着ているものを脱いだとも言われている。裁判官の心変わりは、単純に彼女の美しいヌードに圧倒されたからではなく、その時代、肉体の美は神性の一面・神聖なしるしと見なされたからだった。

(*)エレウシスの秘儀:古典古代時代最もよく知られた秘儀のひとつであり、しばしば単に「秘儀」として言及されることもある。エレウシスの秘儀は紀元前1700年頃ミケーネ文明の時代に始まったと言われている。マーティン・P・ニールソンはこの秘儀が「人を現世を超えて神性へと到らせ、業の贖いを保証し、その人を神と成し、その人の不死を確かなものとなす」事を意図されていたと述べている。

その内容を語ることは許されなかったため、断片的な情報のみが伝えられている。参加者の出身地を問わないこと(アリストパネスの断片による)、娘ペルセポネーを探すデーメーテールの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の秘儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。秘儀への参加者には事前に身を浄めることが要求され、その秘儀は神の永遠なる浄福を直接見ることといわれた。




下はフリュネがモデルとされるアフロディーテ像頭部(一部破壊あり)

Cleopatra and Caesar(クレオパトラカエサル

ダフネスとクロエ




次は、John Collier(ゴディバ夫人)。

そして、John William Godward。
 


おつぎはご存知ブーグロー。

こうしてみると、我ながら選ぶ絵画はどうしても似てくるようだ。