クリヴェリ −15世紀からの強力な眼ジカラー
このマグダラのマリアの眼。
見下す眼、だ。
15世紀頃の絵画を見て、ここまで視線を感じる作品に出会ったことが無い、と思った。ただ事では無い絵だ。
教会の祭壇画、としてこの絵があったのである。イタリアに。
近くの村人(別に村人でなくともよいが)は、この”人を見下す眼”の眼ジカラに引き入れられ、魅入られて、ついつい毎週礼拝へと行ってしまったのではないのか、という幻想(いや、妄想か?)が浮かんでしまう、それほど強力な眼力である。
ついでこの2枚の磔刑の画をみよ。
三島由紀夫が写真集にて目指したその完成形が、
既にここにあるではないか。
次いでこの2枚の画を見られよ。
みうらじゅんといとうせいこうが、
見仏記で活写した、”踏まれ”の系図の西洋でのすばらしき例である。
この踏まれっぷり!
踏む側の天使たちの、この尊大さ!!
Demonの”べろ”!!!
Wikipediaにて、エロティシズムに関する記載があるが、このあたりを見ればむべなるかな、だ。
繰り返すが、祭壇画、だ。
”カルロ・クリヴェッリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルロ・クリヴェッリ(Carlo Crivelli, 1430年頃? - 1495年)は、イタリアのルネサンス初期の画家。
ヴェネツィア生まれ。師は不明。十五世紀に流行したパドヴァ派の工房の系統の画家と推測される。金箔を施した黄金地のパネルに明澄な色彩で描かれた祭壇画は、ビザンティン美術風の流れを汲む豪奢さにあふれている。古典主義的だが気品のあるフォルムは精緻を極め、聖人画ではあるが高貴なエロティシズムが画面に満ちている。 この時代、人物ごとに個別のパネルに描く祭壇画(多翼祭壇画)は主流では無くなっていたが、後年までこの伝統的なヴェネツィアパドヴァ・タイプの構成や装飾手法で描き続けた。画業への評価は高く、1490年にナポリ公から騎士の称号を得たとの記述が残る。
19世紀初頭までは殆どの祭壇画は元の場所にあったと考えられているが、ナポレオンの侵攻とイタリア統一の混乱により取り外され、世界中に散逸した。現在では、運よく残された僅かな作品が一部の礼拝堂に存在するのみである。”
侵略者が祭壇にこれらの絵を見つければ、どうしても欲しくなってしまう、自分の家で、自分の近くの礼拝堂で、これから後の人生、見続けたいな、と感じたであろうこと、そのことに僕は共感を感じてしまうのである。