ブーグロー 19世紀からの誘惑


澁澤龍彦に”幻想美術館”という本がある。

日々、自分の眼で、さまざまに出会うヴィジョンがある。その中で妙にひっかかるもの、人の評価はどうあろうと”自分としては気に入った”というもの、妙にあとで気になるものがある。

これまでは、本を買う、模写する、文章にする、といったことで記憶に留めようとしてきたが、ここの場でそうした映像たちを自分の記憶のために、備忘録として残して行きたい、と思った。

大御所の先達にあやかるのもおこがましいと思いつつ、この備忘録のタイトルは大澁澤にあやかって”幻視美術館”としてみた。

生涯を写実に費やした画家である高島野十郎が、自らの生き方をあらわすのに使用した言葉である”魔業”、絵を描くことは多かれすくなかれ魔に魅入られた人間のあがきでもあろうかという思いを込めてサブタイトルに入れてみた。

書き始めるやすぐにまだできてもいない備忘録のタイトルについて四の五の述べるのも野暮というものだとは思いつつも、ついついこんなことを嬉々として書き綴ってしまうのも、”魔業”ほど性根が座っていない、いわば我が”因果”のなせる業であろうか。

勢い、マイナーなもの、世間であまり良く言われていないものに肩入れしてしまう場面もあろうかと思う。
尚、情報や画像は主にWIKIPEDIAから流用させていただくことになると思う。
なんだかんだ言っても、自分で気に入った画像の倉庫、にしようと思っている。

ということで、ブーグロー。

一番初めに貼り付けたのは、サティロスをからかうニンフの絵である。端的に正面にいるニンフの表情が良い。いろいろな絵を見ても、非常に心に残る華やかさである。ひねくれてない見方でいけばいまのところ”我が絵世界華やか美人”暫定一番といってもいいかもしれない。

他に思い浮かぶところでは、小山ゆうの一連のヒロインたちである。
あずみ、水島裕子、等々。厳しい現実にめげずにまっすぐな瞳をしたヒロイン達。

このわかりやすさ、通俗性がこの画家の評価を一段低めることになっているのかもしれないが、画壇、絵の流行、そんなものの知識一切無く、きれいなものを描く、という眼で改めて見てみると、この人は大変純粋な態度を持って画業に邁進した画家であると思う。

80歳くらいまで生きているが、テーマも絵の内容も驚くほどぶれていない。無垢な美しさ、女子供向け、といわれバカにされがちかもしれない叙情性、これをケレン味なく、恥ずかしげもなく追求し続ける姿勢は、絵描きとしてそれはそれで大変幸せであったと思う。

この画家が好きで描いている世界、自らの前に紡ぎ出そうとした世界のわかりやすい美しさがとても好きだ。

昨今のひねくれた評論家やアカデミズムにはバカにされる前に、一顧だにされず、というところかもしれないが、いわば大衆演芸、例えるなら早乙女太一、の素直な美しさに通じるわかりやすさがある。

僕はそういったものが嫌いではないし、そういうものは結構大事であるとも思っているのだ。

Wikipedia記載内容から引用。

ウィリアム・アドルフ・ブグロー(William Adolphe Bouguereau, 1825年11月30日 - 1905年8月19日)は、フランスの画家。ラ・ロシェルに生まれる。19世紀フランスのアカデミズム絵画を代表する画家で、神話や天使、少女を題材とした絵画を多く残した。日本語では「ブーグロー」とも表記する。






4点ほど他に気に入った絵を入れておく。

カメラ目線そのもののまっすぐな射抜くようなまなざしを投げてくるモデルたち。

そしておおっぴらに裸を見ることができない時代の、なぜにその場面でハダカなのか、と現代であれば問いかけたくなるポーズ。

画家は結局、描きたいモデル、好みがあるだろう。いわば画家のファム・ファタールである。画家がその生涯を通じて好んだモデルの類型のぶれも、あまり感じない。一途な人、だったのであろう。

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